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宝蔵院流槍術 土佐槍術会
阿波の宝蔵院流槍術
徳島藩における槍術の代表的な指南役の家は大島家(大島流槍術師範、150石)などが挙げられますが、宝蔵院流槍術の武芸指南者の名も蜂須賀家文書の中に残されています。
「寛政元年諸武藝指南仕面々并藝方名目伝来書共」には、宝蔵院流槍術の武芸指南者として「加藤治太夫」の名が記されており、その名は「徳島藩士譜」で「加藤次大夫」として認められるとともに、「徳島城博物館」で見ることができる「御山下絵図」によって、その屋敷は城下の「住吉島橋」北詰付近にあったことが判り、ありし日にはその場所で槍の稽古がされていたと想像できます。
徳島藩の武芸流派
徳島藩では、「形」の継承者で藩主などに武術を指南する役目を持つ「指南役」の家が作られていきました。家臣は武術の習得を藩から義務として強制されることはなく、家中で祖父・父が教えるか、師匠に就いて学びました。
徳島藩における武芸流派の一例
【弓術】日置流
【馬術】大坪流、解龍流
【槍術】大島流、神明流、宝蔵院流
【剣術】関口流、伯耆流、直指流、貫心流
など
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