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​土佐の宝蔵院流槍術

土佐藩においては、宝蔵院流槍術の流祖・胤栄、二代・胤舜の高弟であった「馬詰権右衛門親貞」が上級武士として召し出され、藩内に「宝蔵院流槍術」を広めた。

親貞師は、阿波の保崎城にて馬詰駿河守の三男として 誕生し、承応三(1654)年十二月二十九日、病にて死去。御墓は高知市の薫的神社に隣接し、墓石には「宝蔵院流槍術師範」と刻まれている。

馬詰氏五代目である「馬詰親音」は、九代藩主の山内豊雍公に起用され、教授方頭取、町奉行などを勤める。親音師は民生に尽くすと同時に宝蔵院流槍術を修め、和歌も学ぶなど文武両道に活躍した。

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​土佐藩の武芸流派

土佐藩では、武芸を代々世襲していく家のことを「芸家」と呼び、四代藩主の山内豊昌の頃までに専門化された武芸の指南家の制度が整い、これを『芸家制度』と言う。

時代により増減はあるものの百家以上の「芸家」が存在したと言われている。

それぞれ道場を開いたり、自宅中において武芸を伝えていたが、幕末に藩校「致道館」が設置されそこで士族の子弟に武芸を伝習させた。

土佐藩における武芸流派の一例

 【弓術】日置流、竹林流、大蔵流

 【馬術】大坪流、朝鮮流要馬、調息流

 【槍術】宝蔵院流、高木流、以心流、杉山流

 【剣術】無外流、真影流、一刀流、大石流

                   など

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